一騎君のビョーキの本

ボーダーラインの心の病理―自己不確実に悩む人々

ボーダーラインの心の病理―自己不確実に悩む人々

多分これ冲方先生も読んでると思うんですよね!
小説版の217ページあたり参照のこと。
一騎の夢はモロに太宰治なのですね。
ちょっと気になったので国語の便覧で太宰を調べてみたら

  • 20歳で自殺未遂
  • 21歳で心中未遂
  • 26歳で自殺未遂
  • 28歳で心中未遂
  • 38歳で入水自殺

となっていて、吃驚しました。
小説版の一騎君はこの人と同じ夢を見てることになってるボダッ子で大変ですね。
ちなみにボーダーラインの基準

第一の基準は不安定な対人関係、これは不安定で極めて強い対人関係のパターンを持っており、極端に理想化したかと思うと極端に批判する、価値下げをするといった対人関係の障害である。

小説の一騎は総士を理想化して甲洋や蔵前の総士批判に激怒したりと忙しかったですね…。
極端な批判=総士への攻撃=フェストゥムとの戦闘時のアレですかね。

次に衝動性というボーダーラインで重要な第二の基準であるが、これには自己を傷つけたり、お金の極端な浪費、性的乱れ、あるいは麻薬の乱用、衝動的な食行動の異常(極端に食べたり、食べなかったり)も含まれている。

傷つけられてももはや構うつもりも無い!
とか
勝手に囚人ごっこをしてマゾっこぶってみたりしてました! ね!

さらに3番目に感情の不安定性。それは普通の状態からうつ状態、焦燥感の強い状態、不安の状態といったものが行ったり来たり、極めて激しい動きをするといったものである。

一人称半の小説で主人公の感情の起伏の幅を、激しい動きかどうかというのは…計りきれるものではない気もします…。親友と会話して動悸がしたり、顔見て赤面したり、自分の部屋に上げるだけで、好きな女の子相手のような緊張ぶりを示したりというのがどの程度の範囲に収まるのか…?

四番目は不適切なほどの非常に強い怒りがみられる。またその怒りのコントロールを失っている状態も1つの定義になっている。

あ、こっちが蔵前や甲洋への怒りの部分かな…?
コントロールが出来ないのは俺が総士の目を潰したのだ〜という裏返った総士への感情も入るかな。
あと急にさっきまで平和の夢を見ていたからって、ふざけるな! とか思ったりするのも入るのかもしれない?
妄想癖あるからね、小説版の一騎…。

五番目は自殺の危険性、そのような振舞い、それが頻繁にみられること。

自殺はないけれど、穀潰しに端的に現れているのかも? マゾヒズムだけれども。

六番目には自己同一性の顕著な混乱。例えば、自己イメージがはっきりしない、人生の自分なりの目標が何も持てない、職業の選択もできないというようなものであり、価値観が定まらないと言ってもよいかもしれない。

俺! 総士と約束!! したから!!!
真壁一騎の世界は総士を中心に回っています。
総士との病的な共生関係。

七番目としては空虚感、退屈さといったものの感情に常に苛まれていることである。

人は、物と同じだ! 偶に、壊れる!!

八番目は(略)人に見捨てられることを極端に恐れてそれを避けようとする強い傾向。

総士に捨てられないために模範囚でいました。
が、これはどちらかというと真矢のシナジェティックコードが高い理由なのかな…。



その他、プロットの「医療島」は一騎の病気の快方へ向かうフラグなのだな、と思いました。
それで最終的に総士の影響力から逃れて〜というのはやはり共生関係として設定されていた事を確認させられます。
……………母親かよ!

あと、モロにそのままな太宰治の夢の話

太宰は暗い夜の海で一人泳いでおり、放流の浮き目にあっていた。岸の方に向かって必死に助かろうと近づく。すると岸辺に灯台の光が見え、それを目標にけんめいに泳ぎ、やっとその灯台にたどりつく。そして灯台守の家の中を窓からそっと見ると一家が食事をし、楽しく笑いながら家族団らんのひとときであった。それを見た時「ああ自分はダメだ」と思うのであった。自分はどうしてもそのような雰囲気になじめない人間、見捨てられている人間だと気づき、行くあてもなく再びそっとその灯台を離れたという。

これは津島慶三氏よりの話だそうですが、実際の太宰の著作にも色々この話があるようです。

URLは青空文庫

結論・一騎はツンデレ