ニーチェという迷宮

 いやこれ、別ジャンルのあんちょこなのですけれども…。
ニーベルンゲンの歌の後編を読む元気が出なかったので逃げました…。
後編もこれから読みます…。

「処女作にはその作家のすべてがある」

冲方先生の処女作として黒い季節を考えると
・くたびれた中年×無垢な少年
・好青年×男勝りの女性(と見せかけて半分は男だった!)
が、冲方先生のすべてですか?
と訊きたくなってしまいます…。

「一切をむきだしにし、一切を理解する神はおよそ「羞恥心」というものを知らない。しかし、むきだしにされる側は、その際逃げ場・隠れ場というものをすべてふさがれてしまって、このうえない「羞恥」に全身を震わせるしかない。この「羞恥」の感覚こそ、「最も醜い人間」の神殺害の動機となりえるものであった。」

にすでに咎人になっている一騎は殺害とは逆に神へ与えた欠損を埋めようと身を削るのだな…と、変に納得。
羞恥心すらも解され、同情されても!
それと、すべてを見通す神の目として書かれていたのもあって、そのまなざしは遠見っぽいな〜と思いました。
強くファフナーを連想させたのはそのくらいかな。

さて、後編読もうか、な…。